多読術


多読術 (ちくまプリマー新書)

松岡正剛の著作は、先に「白川静 漢字の世界観 (平凡社新書) 」を読んでいたのですが、とりあえず手元に見あたらなくなったので(笑)、先にこちらを読み終えることになってしまいました。様々な読書の方法論が様々な角度から述べられています。誰でも、ああ、こういう読み方もあるんだ、と思うような話が少なくとも一つや二つはみつかるでしょう。
私も同時に5,6冊並行して読むことが多いのですが、私の場合は、通勤時に読む本、トイレで読む本、寝る前に読む本、テレビを見ながら読む本などがそれぞれ独立進行しています。2,3冊並行で読む程度だった頃は、しおりを入れないことが多かったのですが、最近はしおりを入れることが増えました。読みかけのところはだいたい覚えているし、もしも多少手前から読み返した場合にも途中で気がついたりするので、しおりを入れなくても基本的には問題ありません。が、積ん読削減のために、読書効率を上げるために、しおりを使うことにしています。あとは、注釈が後ろにまとまっているような作りの本、これはしおり二つ必須になってしまいますね。
難しい本を読んでいて、途中で詰まったら、他の本を読んで気分転換して、戻ってくると言うような話も出ていて、うんうん、そうよね、と思いました。が、その気分転換から他の方向にそれて行って戻ってこないことも私の場合にはよくあります(^_^;
中には、私にできない方法論もけっこうありまして・・・私、昔から、本に書き込むということができなくて、教科書にも書き込んだことがありません。いや、歴史の教科書の人物像にヒゲをつけたりする程度のことは退屈しのぎにやったことがあるような気はするのですが、本文中に線を引いたり、マークを付けたりということができません。その理由は、どちらかというと読む行為に集中したいからなんですね。わざわざ鉛筆とかマーカーとかを用意して手元に置いて、本を読む途中で中断して書き込む手間暇を掛けることができないということですね。きれいなままで古本屋に売りたいと言う理由ではありません。もしそうであれば、我が家には売り損ねた本が多数存在していることになるわけです。数えるのがコワイので数えたことがありませんが・・・

あと、書棚に三冊セットで並べる話も、私としては実感を伴った理解につながっていません。概念的には、松岡という人は編集行為にこだわっている人だと理解しているので、書棚に本を並べる行為も編集であると言う主張には一貫性もあるし、うなずけるところもあります。本のタイトルを眺めるところから読書であるというのもそれなりには理解できます。でも、自分では書棚は眺めるものと言う意識が無いようです。書庫にしてしまうと読まなくなると言う話も出ていましたが、私もその類なんでしょう。

ただ、私の場合は明確な方法論として書物を連関させながら読むというよりは、適当に雑多に読んでいる内に、年に一度くらい何か自然とひらめくこともあるだろうという適当主義で何十年も生きてきたので、この姿勢はそうそう変わりそうにありません。でも、この人の読書の方法論はおもしろいと思います。アタマのカタイ年寄りが読んでも実践につなげるのは難しいから、若い人が読む方がいいんでしょうね。

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